読書

【超訳 般若心経】著・堺野勝悟 読書感想文を書きながら新型コロナウイルスと人種差別と水原希子さんの問題と、保育園児の声を騒音と訴える人たちを考える。


般若心経や、宗教系の書物を読んでいると、変な目で見てくる人もいます。
般若心経を聞いたりしていると尚更、変な人と思わることがあります。私は完全なる無神論者で、無宗教派です。だけど、聖書も読んでいるし、仏教やギリシャ神話等々も読んでいます。こういう事を言うと、不謹慎極まりないかも知れませんが、神がいないと信じているものにとっては、宗教書は誰が書いたかと言えば人間が書いているという結論に達します。私は、神の言葉を学びたいのではなくて、神の言葉として残されるほどの文章を書いた人の思想を学びたいのです。数百年、時には千年も二千年も前の書物に書いてあることが、最新の経営論と変わらなかったり、最新の心理学で提唱されている事がまさに書かれていたりします。という事で、今回は般若心経を読むことにしました。おそらく、日本人の中でも圧倒的知名度があるのでは無いでしょうか。今回は【超訳】となります、特に専門的な書物は原文やただ翻訳したものを読んでも一般人には理解し辛い事が多いです、専門的な書物を誰かが入門書に書き直した物を読むほうがとっかかりとはしては良いですね。

般若心経は262文字

まず、般若心経は約260文字と言われています。
冒頭部分があったりなかったりするのでばらつきがあります。

般若心経の現代語訳とは!?で検索したことがある人も多いでしょう。
しかし、なかなかピタッとくる訳にはたどり着けません。

上記のサイトが分かりやすいでしょうか。

般若心経 原文

仏説ぶっせつ 摩訶般若波羅蜜多心経まかはんにゃはらみたしんぎょう
観自在菩薩かんじーざいぼーさー 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー
照見五蘊皆空しょうけんごーおんかいくう 度一切苦厄どいっさいくーやく
舎利子しゃーりーしー 色不異空しきふーいーくう 空不異色くうふーいーしき
色即是空しきそくぜーくう 空即是色くうそくぜーしき受想行識じゅそうぎょうしき 亦復如是やくぶーにょーぜー
舎利子しゃーりーしー 是諸法空相ぜーしょーほうくうそう
不生不滅ふーしょうふーめつ 不垢不浄ふーくーふーじょう 不増不減ふーぞーふーげん 是故空中ぜーこーくうちゅう
無色無受想行識むーしきむーじゅーそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むーげんにーびーぜっしんにー 無色声香味触法むーしきしょうこうみーそくほう 無眼界むーげんかい乃至ないしー無意識界むーいーしきかい
無無明亦無無明尽むーむーみょうやくむーむーみょうじん乃至ないしー無老死むーろうしー 亦無老死尽やくむーろうしーじん
無苦集滅道むーくーしゅうめつどう 無智亦無得むーちーやくむーとく
以無所得故いーむーしょとくこー 菩提薩埵ぼーだいさったー
依般若波羅蜜多故えーはんにゃはーらーみーたーこー
心無罣礙しんむーけいげ 無罣礙故むーけいげーこー 無有恐怖むーうーくーふー
遠離一切おんりーいっさい 顛倒夢想てんどうむーそう
究竟涅槃くーぎょうねーはん 三世諸仏さんぜーしょぶつ
依般若波羅蜜多故えーはんにゃはーらーみーたーこー
得阿耨多羅とくあーのくたーらー三藐さんみゃく三菩提さんぼーだい
故知般若波羅蜜多こーちーはんにゃはーらーみーたー
是大神呪ぜーだいじんしゅー 是大明呪ぜーだいみょうしゅー 是無上呪ぜーむーじょうしゅー 是無等等呪ぜーむーとうどうしゅー
能除一切苦のうじょいっさいくー 真実不虚しんじつふーこー
故説般若波羅蜜多呪こーせつはんにゃはーらーみーたーしゅー 即説呪曰そくせつしゅーわつ
羯諦ぎゃーてい 羯諦ぎゃーてい 波羅羯諦はーらーぎゃーてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃーてい
菩提薩婆訶ぼーじーそわか 般若心経はんにゃしんぎょう

般若心経、原文や音声データのダウンロード先

上記のリンクで、音声データやふりがな付きの原文がダウンロードが出来ます。

堺野流般若心経全文現代語訳

当書の冒頭に、筆者が訳した般若心経があり、非常に分かりやすいですが、さすがに引用するには長文するので控えます。

第一章

やっと、本文に入ることが出来ました。

私にとっての仏教のイメージは『善悪難定』というイメージがあります。物事は白か黒ではなくてほとんど全ても物は灰色です、でも多くの人は自分が正しいと考えています。

そして、現代は特にどちらかに偏ってしまう傾向にあるように思います。何かが悪いとマスコミが報道しだすとこぞって皆が元々自分がそう主張していたかのように言い出します。

特に、新型コロナウイルスの影響が大きい2020年前半ですが、私は本当ここ最近はみんな極端だなぁと言う印象を受けました。日本には白か黒しかないのか!?と常日頃感じていました。『自粛警察』なんてのはその典型ですね。

そもそも民衆にとっては、新型コロナウイルスの驚異なんて全く知りようが無いのです。だって、未知のウイルスですからね・・・専門家の方たちでさえ「分からないから研究している」のでありますから、一般の方にとっては「新型コロナウイルスは脅威なのかそうでないのかさえ分からない」といったところです。

それなのに、あたかも「新型コロナウイルスは人類の脅威である」という盲信の下でなければ『自粛警察』なんて行為は産まれません。

結局のところ、経済をストップさせることで新型コロナウイルスの驚異は過ぎ去ったのかも知れませんが、もしかしたら経済をストップまでしなくても新型コロナウイルスは自然と落ち着いていたのかもしれません。

私は、新型コロナウイルスは2~3年は続くかも知れないけれど、壊れた経済は10年も20年も続くと考えていますし、コロナ後の生活様式・・・これは私にとって不気味な世界そのものでしかありませんが・・・というのも全て私個人の考え方でありますね。

超訳般若心経に置いては、単語ごとに見開き1ページを使い解説しています。それは、現代的な例えを使いながらのお話なので非常に分かりやすいです。第一章では、そこには禅らしき教え、物事は中庸的であること、実際のところ人は実態のない自分の思想によって苦しんでいること、それらを捨て去れば楽になる、のんびり歩みましょう。というような事が書いています。

事あるごとに『白か黒か』と極論に走ってしまいがちな日本のメディアと一部の極端な人たちには是非とも一読してほしいものです。

第二章

P57には

広い広い自分の心をつくり、いつも、安らかな心を育てたいと思うなら、理屈に合わないこと、けしからんことや、不合理なこと、矛盾などを平気で「受け入れる」心を養わなければならない。

P58には

矛盾と出会った時でもカチンとしない

とあります、これはまさに新型コロナウイルスそのものですね。はっきりいって、新型コロナウイルスの蔓延は理不尽で不条理極まりありません。

多くの方がすぐには受け入れることが出来なかった事だと思います。

もし、こうした教えてを知っていればもう少し混乱は抑えられたかも知れないですね。

そして続くP60にはこうあります

差別の心をなくす訓練をする

米国では黒人差別が問題になっています。
超訳般若心経では、差別に関してこのように言及しています。

差別をし、区別をするだけならいい。その後、そのどちらかを選択しはじめる。ここに、いいとか、わるいとかの分別心が湧いてくる。そこで、人が悩みはじめる。

とても説得力のある言葉です。

肌の色が違う、という事は実際にあることですね。それ自信は認識した上で、どちらが良い悪いなどを考えるからおかしなことになるんですね。

日本は、島国であり、基本的には「日本人」が住む国でありますね。だから米国の人種差別を見ても「私達は人種差別がない」などと思っているかも知れませんが

 

水原希子さんが、何かを発言して「日本人じゃないくせに」なんて言われた事象は記憶に新しいですね。私は、水原希子さんが日本人でない事は知りませんでしたし、特にそうだったからといって気にもしませんが、日本人がこのようなことで、まさに「差別」をしている事には驚きました。

日本は多民族国家ではないから差別がないだけで・・・もしかすると単一民族であるからこそ、多民族国家に移行するにつれて猛烈な差別が起こるのではないか、心配です。

ちなみに、日本の少子化は先進国でも圧倒的な進行速度で、私は日本という国家を「日本人」が維持するのは難しいと考えています。そのような背景からも「差別がないのではなくて、差別を知らない」からこそ危ないです。

昔の偉人の方たちが残してくれた言葉からも「差別がいかに虚しいか」という事を今のうちに学んでいきたいですね。

P68は、原文の『行則是空』の解説になります。それは直訳すると「人の行いに固定したものはない」という事です。もちろんこれも超訳が付いているのですが、非常にしっくるくることが書いてあります。

不生とは!?

P74は、『不生』「分別の心を一切もたない」ということの解説になります。
それによりますと、「桜を人は美しいと言うが、桜自体はきれいに咲こうとは思っていない」のような事が書いてあります。
とはあるのですが、私は『桜はきれいに咲こうとしている』と思うのです。何故ならば、花はきれいに咲くことによって動物の目に留まり花粉を運んでもらいます、そしてきれいで美味しい実を鳴らすことによって、食べてもらい種を運んでもらいます。

だから、花はきれいに咲くと思うのです。

考えて見れば、擬態動物とは不思議なもので、身近な色彩に紛れ込むように進化しているはずですが、いったいどうして自分の色を確認出来て、どういったメカニズムで自分の色を進化させていったか不思議でなりません。

ともあれ、私は『不生』という考えに関しては疑問を感じましたので、掘り下げていきましょう。

まず、goo辞書によると不生とは

仏語。迷いの世界に生を受けない意。如来 (にょらい) のこと。

そして如来とは、真理に達した人です。

Weblio辞書によると

〘仏〙 生じたり滅びたりすることなく常に存在すること。

とあります。
更に、臨済宗妙心寺派・龍門寺・不生禅の解説があります。

そこでは、「迷いも悟りも生死もない」とのような文脈と関連しているようです。

以上のことから、「不生」とは迷いのない存在、不死を表すような事だと言えます。

当書によります、桜の記述はオリジナルの「超訳」によるところで、原文にはないようです。

この74ページから82ページまでは原文で言うと

不生不滅不垢不浄不増不減の部分に当たります、韻を踏んでいる部分ですね、般若心経を暗記したいと思う人も多いと思いますが、丸っと暗記するよりは意味を知りながら暗記するほうが早そうですね。

2章を読み終える頃、あぁこの書は、本当に超訳だなぁと思う。時には二語の単語に著者が見開き1ページの解説を付け加えています。私達日本人は、漢字の意味を理解することが出来ます。実際には二語の漢字が何を表しているのか、著者はこう解釈したんだなぁと考えながらも、そのガイドを元に自分でも考え直す事が出来ます。

第三章

第三章は原文では無~が続く解説になります。
例えば無音だとしますと、音が無いという解釈ではなく、自分が感じる音が全てではない、という捉え方をするようです。
この無~の部分は、超訳に頼りすぎることなく一つ一つの漢字は理解できるわけですから、自分の中でそのたった二文字を良く考えてみるのも面白いですね。

その後は、菩薩や薩埵など、独特の用語なので知らないと意味の想像すら出来ません、ここは筆者の超訳を存分に活用していきました。

第四章~第五章

座禅についての訳や、仏教の代表的な用語が出てきて、なんとなく仏教の成り立ちというか仕組みが分かってきます。

P192ページに置いては、「般若心経」の言葉の解説がされています、般若心経は知っていても、その成り立ちは実のところほとんど分からないです、非常に短く分かりやすく解説してくださっています。

古典を読み解いていると、不思議な事に現代の情報化社会を生き、苦しむ人にこそ聞いて欲しい事が溢れています。

例えば、当書であれば読書に慣れていない人でも数時間で読み切ることが出来るでしょう。

近年流行りのマインドフルネスの境地も、座禅や仏教の流れを組んでいます。超現代人にこそ古典の教えが役に立つとは不思議です。

また、超訳・般若心経では無欲であることも説かれています。これに関しては、私は現代には少し合わないのかな・・・って思います。その昔は、人は家業をつぎ決まった役割をこなすことで共同体を成していました。
しかし、現代では必ずしも無欲が幸せであるとは思えません。言葉は悪いですが、安月給でこき使われ、ブラックな働き方をしながら、自分の自由な時間を持てない、極論ですが無欲であればそんな状況に陥るかも知れません、無欲で幸せになれる条件はそれなり以上の資金力を持っていてこそ言えるのでは無いでしょうか。

昔と違い、現代人は他人の集合体である組織のために働くのですから、自分の欲も受け入れ、叶える姿勢が大事だと私は考えます。

第六章

いよいよ。超訳般若心経も終盤に差し掛かってきました。

ここでは般若心経の要点や構成が書かれています。その中で思ったことは、般若心経とは答えのない文章とも言えるってことです。そもそもが、中庸的で答えがないというような事を説いていますから、全体として明確な答えがあるのもおかしな話ですね・・・でも、答えを示していないからこそ誰にでも受け入れられるのですね。

怒りの押さえ方

そして、怒りに関しての言及もあります。人が持つ感情の中で、現代人にとってほぼ害悪であるとされている怒り、そうは分かっていても抑えきれないのが怒りです。

人は、行きている。笑ってもいい。泣いてもいい。が、怒ることは、危険だ、修行のために怒るべき時は、怒ってもいい。
が、問題なのは、怒りたいのに、いまはどうしても怒ってはいけない、と、じっと、我慢しなくては、ならない時だ。
怒りを押さえようとすればする程、身体の内側から、怒りが波のように、心臓までドキドキと襲ってくる。  ~本文P237より~

そのような時、どうすれば良いのでしょうか・・・
日常生活でも、イラッとする局面は多くありますね・・・(笑)

怒りの弊害

例えばそんな怒りがあおり運転を引き起こしたり、喧嘩になったり、人を傷つけてしまう、怒りから発生する刑事事件も少なくはありませんね。
それに、お客が怒ってお店側の人のメンタルを大きく削ることもありますし、上司が怒って部下のやる気を削ぐこともあります。

夫婦生活だって、怒りが破壊することもあります。
子育てだって、怒りから取り返しのつかない事も怒りえます。

分かっていても、やっぱり生活にイライラの種は付き物です。

私は、どうしてここまでも害悪で強い怒りの感情があるのか不思議に思う事もあります。理論的に考えれば、怒りは自分自信を守るためにあるのでしょうね、強い攻撃性を伴った怒りを発動させる事により自然界では自分を守ることが出来るのでしょうし、動物には怒りが備わっていると知っている事によって、相手を怒らせないほうが良いと知っています。
だけど、基本的に原始的な喧嘩が必要のない現代においては怒りの意味はあまりありません、もしかすると未来においては怒りという感情は進化して無くなっているかもしれません。

ともあれ、怒っている時の対処方法に特効薬は無いですね。深呼吸をするとか、小難しい計算をするとか、色々ありますが、本当に怒っている時はそんな余裕もありません。
私は、ともかくその場を離れる事が一番だと思っています。人知れず物に当たる(笑)のも有りです。そして、可能ならばPCの前に向い、ゲームを起動します。
ゲームであることが重要で、こういう時は読書をしようとか思ってもなかなか集中できません

ゲーム中毒

ゲーム中毒という言葉があり、現代では問題になっていますが、読書中毒はありません。パチンコ、お酒などの中毒はありますが、家庭菜園中毒やスポーツジム通い中毒はありません。
私にとっては、非建設的な趣味は中毒性があって、建設的な趣味は中毒性がありません・・・それどころかある程度、努力して継続しなければ続きません。
本筋から逸れますのでここでは割愛しますが、非建設的な趣味(ゲーム、パチンコ、お酒等)は主体性が無く、依存しています、なので言い換えれば自分ではあまり何も考えずに時が過ぎています。

だからこそ、私は怒っている時はゲームに没頭します(笑)
そもそも、スマホゲームもしませんし、普段からゲームをする習慣はありませんが、30分もしていれば落ち着きます。
パチンコが趣味という方は、強い怒りを感じた時はその場を飛び出してパチンコ屋に向かうのもありかもしれません・・・でも、負けて余計にイライラするかもしれないので、やっぱり難易度低いゲームが良いかもですね。

超訳による怒りへの対処

話が逸れに逸れましたが、本筋に戻ると、般若心経による怒りの押さえ方が紹介されています。怒りへの対処は難しいですが、これも「怒りは抑えるべき感情である」と認識しているだけでだいぶ違います。そして、そのための対処方法も実践出来るかどうかは別として、なるべく多くの事を知っているだけで違います。

般若心経による怒りの押さえ方は知っておいて損はない知識です。

音の響きは脳に安らぎをくれる(P238)

当書においては、現代人は本来自然をとても大切にしてきた日本人なのに、その心を忘れてしまって幸福を失っている、という表現をしていました。
そして、

現代人は、音そのものが、心に安らぎを与えることを、すっかり、忘れた。

とも表現しています。

同ページにて

みんなで、楽しく笑っている。笑い声にも、まったく意味はない。ちょっとした山道で、小さな森のかげから、少女たちのからまるような笑い声が、ふと、飛んできたら、どうか。「うるさい」と怒る人は、狂った人だけだ。

とありますが。

保育園の騒音問題

先日、上記のようなニュースがありました。
これに関しての、世間の意見が

騒音に悩まされている方には申し訳ないのですが、棄却されたというニュースを読んで少しホッとしました。

子供を訴えているようなものだ。 棄却は当然。

良識ある裁判官がまだ東京地裁に居て良かった。

こんな裁判が起こること自体が恥ずかしい。門前払いにすべき。

等々、色々は表現がありますが、基本的には子供を養護する立場の意見が多くて安心しました。

私はこういう意見をぶら下げましたところ、こんな意見が返ってきたのです。

 そう感じない人も居るというのは保護者や保育士にもあった方がいい視点だと思います。感じ方を押し付けるようなことは決してあってはならないと思います。

私にとっては「子供が遊ぶ声は幸せを感じるもの」というのが当然の認識で、「騒音問題でお金を請求するなんてけしからん」と思っていたのですが、それも偏った意見なのかもしれません、まさに般若心経によると絶対は無く、物事は中庸的なのです。

当書においても「うるさいと怒る人は、狂人」と表現していますが、やっぱりうるさい怒る人はいるって事は認識しないといけないのですね・・・。

まぁ、とは言いましても

慰謝料などとして少なくとも計828万円の支払い

を求めている姿勢は、まったくもって共感できません。

おわりに

さて、超訳般若心経も、読み終えました。
なにか特定の知識書という訳ではなく、なんとなく根本的なことを考える書だけに、最近起こっている様々な事象を振り返るのにも良い機会になりました。

書を読む、これが大事だということには疑いがありませんが、書を読まない人にはその大切だが分かりません。
例えば般若心経ひとつにとっても、書を読まない人には般若心経を考える機会すら逃している可能性があります「リテラシー」今では良く使われる事ですが、読み解く力というような意味ですが、単純に知識としても良いと思います。

これだけ情報がありふれた中、リテラシーそ磨き続けないことは強大なリスクになります。現代日本人は、幸せなのか、幸せじゃないのかは分かりませんが、何かを得るためにはリテラシーは大事です。

自分に関係の無いことでも、知っているのと知らないのでは大きな違いがあります。物質的な容量とは違い、知識を持つことにコストはかかりませんから、全く役に立たなかったことでも人生で一度しか役に立たなかったことでも、知っておいて損はありません。

時折、ニュースではとても愚かなことを犯す人が報道されます。また、ネット上でも愚かな言動を繰り返す人は良くいます。現代では、このネット上での発言も実生活と非常に近しく、大きな影響力を持ちます。

そのような時、私は単純に「物事は中庸的である」という事だけでも知っておいて欲しいなって思います。

大人が間違いを犯す大きな理由は、「物事を知らないから」という事が多いような気がします。日本では、大人が学ぶ習慣がありません。もし、自分が不幸だと感じるのであれば、学ぶのをやめた大人になってしまったからなのかもしれません。

じゃあ、何を学べばいいか・・・膨大な情報量の中で、限られた時間で学ぶためには何を学ぶかの選択は大事です。
いかなる優れた著者も、自分一代で気付いた知識で書を大成することは出来ません。必ず先人たちの積み重ねの土台を元にしています、知識にはどんどんと源流があります。

その源流はどこにあるかと言えば、やはり時代を逆上りますから、古典にあると言ってもいいのでは無いでしょうか。古典は単に素晴らしいというだけではなく、仮に素晴らしくなかったとしても、多くの人に読みつがれてきています。
まぁ、素晴らしいからこそ続いてきたとも言えますが。

100年前の人も読んでいるだろうし、200年前の人も読んでいる、1000年も2000年も前の人も読んでいる、とあればある意味ではその書物に書かれていることが浅く言えば「常識」となり、人の思考の根幹に流れていると言えます。

そういう意味では、私達東洋の思考の源流に限りなく近しいひとつが「般若心経」だと言えます。冒頭でも述べましたが、無神論、無宗教の私がそういった本を読むのは古典だからでもあります。神の教えを学びたいのではなくて、それを記した人の考え、そして、現代に至るまで多くの人の知識の源を知りたいのです。

超訳般若心経では、冒頭部分に簡単な訳がついており、それだけでも十分般若心経を理解する手助けにはなります。
その後の超訳はまさに著者の訳です。なるほどと考えたり、そこはどうなのかなと考えたりしながら読むことが出来て、さらに深く般若心経について考えることが出来ます。

しかしながら般若心経は、答えが無いというのが答えと言っているのかも知れませんし、じゃあそれが「答え」という事も出来ます、だったら答えは無いと言っておきながら答えはあるという事になります。まさに禅問答のようですが、真理はないかもしれませんが、それを追い求める姿がまさに人間の真理なのかもしれませんね。

検察庁法改正案や、種苗法改正案など、良いか悪いかは分かりませんが、現代では民衆の発言力が強まっている事は間違いありません。しかし、それが良い方向に向かうこともあれば、悪い方向に向かうこともあります。
そのような事象を見ていると私は「衆愚政治」を思い出します。

私は、現代の政治は、「国民主権なんですよ」と言いながらの騙し騙しの政治だと思っています、けれど結局はそれが一番いいのかもしれないからお国に従うのみですが。
マイナンバーが完全実装されると、国民投票だって簡単に出来ますし、なんなら選挙だってオンラインで完結します。そうすれば若者の投票率は飛躍的にあがり、政治バランスがガラッと変わることは明確なので、既得権益を守るために実装はされないでしょうけれど。

ともあれ、民衆の発言力が上がってくることは間違いなく、それは諸刃の剣で「結局は自分たちの首を絞める可能性もあります」だからこそ、大人ももっともっと学んでいくべきなのです。

古典は素晴らしいけれど、原文に近いものは難しいですから、こうして現代人が分かりやすく訳しているものが良いわけですね。膨大な情報量を限られた時間で学ぶならなおさら、誰かが「分かりやすくまとめてくれている」事はありがたいです。

 

読書にお勧めアイテム

読書台・書見台


 読書をしながら、両手が空くのはとても便利です。特に感想文を書く人にとっては必須です。このツールなしだとページが勝手に閉じるし重りを置くと見ずらいので、読書台があれば効率は格段にアップします。

ココフセン 便利なふせん


読み返したり、必要な部分をすぐに見つけるために必須アイテムです。
【ココフセン】の良いところは、シールが付いていて本の裏表紙に貼り付けておけます。
いつでもデスクに座ってPCを開けて読書が出来るわけではありませんよね、移動中やちょっと時間が開いたときには付箋をぺたぺたしておくと便利です。

関連記事