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前知識
私自身は「人魚の眠る家」と言う作品は映画が先だったか、小説が先だったかは定かではありませんが、その物語の存在と、脳死の少女の話という前知識は知っておりました。
話題になっている作品は、まずは小説を読んでから映画を見るようにしており、いつかの日に買っておいた、本書を手に取りました。
一緒に読んでおきたい本
私が、人魚の眠る家を読む前に読んだ本が「こころはいかにして生まれるか」という本でした。こちらは脳神経科学の観点から人間のこころの正体を解き明かすという本です。
この本を読んだ後に「人魚の眠る家」を読むと、脳神経や脳の構造に関して予備知識が付いていることや、人の心の在り処に関しての想像をしていることなどから図らずして脳死の物語についての考察が深まったと感じました。
二つの書は、内容としてはかなり関連度が高いですが、私がその順番に読んだのは偶然でした。
しかし、偶然にしては出来すぎなので、もしかしたら無意識のうちに二つの本の関連性を感じ手に取ったのかもしれません。自分を支配している意識というものは、思っているほど行動に与える優位性は高くないですから、自分の意思で読もうと思った本は、無意識化ですでに選ばれている訳です。
プロローグとエピローグ
この二つに関しては、本筋に関して、大きな意味を持つけれど、フィクションで有るが故の偶然性に支配されいるので。さほど感情を動かされる場面であるとは感じませんでしたが、本書は深く考えさせられる作品です。
脳死・・・長期脳死とは
本書では、脳死少女の物語の背景には、日本の脳死に関する法整備や問題点の提起が常に語られています。
そして、日本では臓器提供の意思(家族が決める)がない場合は脳死判定はされません。
※脳死や医学的な知見、法律に関しては、物語のフィクションではなく事実であるようです。当記事においても、特段注釈のない場合は、事実だと思って下さい。
植物人間と脳死の違いは?
どちらも同じ状態だと思っている人も多いかと思われますが、私もその1人でした。
植物状態は、自発的に呼吸をすることが出来て、意識が回復する事もあるようです。
しかし、こんな事を考えたことはないだろうか?
脳死状態の人は、何も発信できないけれど、意識だけはあって真っ暗闇の中でただ、何かを思っているのではないか・・・と・・・。これは大いにあり得ると思います。こころの在り処を探っていく上で、人間だけが持つ大脳新皮質が心を作っているのではなくて、もっと原始的な部分に感情はあるらしい、それは人間以外の動物にも感情があることからも明らかです。
脳に損傷を負った人は、文字が読めなくても「死」という文字を見れば嫌な感情が思い浮かぶし「母」という文字を見れば暖かいイメージだと答えると言います。また、眼と脳の神経が遮断されいる人は、眼は見えないが例えば蛇が視界に入ると恐怖を感じると言います。
つまり、情報として処理する事が出来なくても、視覚情報以外の回路で脳に映し出されていなくても認識はしているのですね。
そして、こころを作り出しているのは脳内の物質であったとしても、心自体は形のない物ですから、植物状態の人間の心だけは生きている可能性はあるかもしれません。
ママごめん、楽にしてあげる 「植物人間となった母親を解放したかった」息子の犯行
そして、植物状態の人間は自発的には生きているので、生きている患者として治療を続けなければならないので、上記の様な痛々しい事件も起こります。
植物状態とは、回復する可能性もあれば、栄養があれば生きていけるのですね。
とは言いましても、人魚の眠る家の題材は脳死なので、植物状態の事は一切記載はされていませんが、違いを知っておくほうがしっくりとくるのではいかと思いました。
脳死は呼吸器を外すと死ぬし、回復する事はない
呼吸器を外しても生きていけるのが植物状態だとしたら、脳死は呼吸器を外したら呼吸が出来ないので死んでしまいます。そして回復する事は無いというのが現代医学の結論です。
しかし、呼吸器をつけていれば体温もあり、生きているようにも見えるので、生死の判断は難しいですが、考えてみれば無くなった手が生えてこないのと一緒で、無くなった脳の機能を取り戻す事は出来ないのは当然かもしれません。
そして、脳死判定は臓器提供を決めなければされない・・・これは非常に矛盾しているようで、物語の登場人物もこの制度により苦しんでいました。
「脳死=死」ですが、その判定は臓器提供を前提としなければ出来ませんので、「患者さんは脳死しました、法律上も死と言う事になったので・・・」という事にはならず・・・「おそらく脳死ですが、臓器提供しなければ判定はしないので、このままの状態です。臓器提供をするのならば脳死判定が出来るので、死を確認出来ます」
という摩訶不思議な状況です。
医師から、死亡しましたと言われたのならば、それならば臓器を他の助かる命のためにと思えるのも分かりますが、現行の制度では親が子供の死を確定させる選択をしなければならない上に、そのためには臓器の提供をしないといけないという・・・
とても矛盾しているのですね。
結局、この制度が、物語の家族にとっての苦悩の始まりになったと言えます。
脳死判定したら確実に死んでいるのか?
これは、物語の中でも、脳死判定したら確実に脳死と判定されるという流れで描かれていますし、脳死判定をする状態とは確実に脳死である状態でなければおかしいので、やはりそうであると思いますが、こんな疑問はありませんか?
脳死判定の結果、脳死ではない可能性はないのか・・・?
これに関しては、物語でも深く言及はされませんでしたし、やはり脳の大部分は機能していなので、脳死判定をする時点でほぼ死んでいると言う事のようです。
脳死からの復活
物語の中での医師は、もうこの状態では長く生きることはないと結論づけていますが、家族は脳死状態のまま何年も生き続けている子供がいるとう事を知ります。
これも、物語の創作ではなく、実際にGoogleで検索してみると、脳死状態であるとされる子供(もちろん脳死判定はされていないはず)を自宅に連れて帰り看病している方のブログなどを見ることが出来ます。
が、興味本位で見るには気が引けますし、これ以上の言及はしません。
次に下の情報があります。
結局、脳死判定をしたけど脳死でないと判断される確率などがあるのかという情報にはたどり着けませんでしたが、上記のリンクの様に、回復の見込みは無く、回復した例は無いとされる脳死(と思われる)の状態から回復した子供もいるようなのです。
第3病日 に脳死徴候をすべて見たし脳死状態。第3病日と第5病日に無呼吸テスト実施して無呼吸。
第43病日、自発呼吸が発現した。
まさに奇跡といえる状態ですが、ソースとしても日本救急医学会雑誌の抜粋であるようなので信憑性もありそうです。
脳死状態であっても、身長や体重は成長するらしく、数年生きる事もあるようです。
本書でのテーマではその状態を生きていると言えるのか、死体を連れて返っているのかという問題としても扱っています。
また、本書においても、脳死判定などで、辛い思いをしないか痛みはないか?という親の疑問点がありますが、医師の見解によると大脳が機能していなく意識はないので痛みは感じないと結論されています。
が上記のリンクによると。
小児脳死判定基準(暫定基準案)に基づき脳死判定を施行(24時間毎に計3回)。日齢7に患児は脳死と判定されたが、脳死判定 の13日後に脳波と痛み刺激に反応、17日後に脳幹部血流再開した。
とあります。
物語の中の医師も、結局脳はまだまだ分からないことだらけで・・・と言っておりますが、現代医学を持ってしてもそれが事実のようなので、本当に宇宙の不思議ほどの人の脳は不思議なのですね。脳のどの部分が、何の機能を果たしているかの全容も解明されていないので、脳死患者が、意識を言語化することが出来なくても、痛みを感じることが出来なくても、もしかしたら快、不快の感情だけはあるかもしれません。
薫子の情事
物語の割と多くのスペースを割いている部分ではありますが、映画版ではカットされていて、妹が「お姉ちゃん、あの人と会ったんでしょ?」と電話で話していた描写が一瞬あるだけです。
多くの人は認識されることのない事柄ですが、確かに、無くても本筋には関わらない部分であるとも言えますが、薫子の一面を知ることにより、母としての彼女の側面を知ることにより、やはり物語を想像するに厚みを増すことは間違いありません。
水難事故に関して
物語の発端は水難事故ですが、これに関しては物語の流れとしては仕方のない部分で、ここに言及するとこは、わざわざ物語の粗をさがしてケチを付けるようで忍びないのですが、その様な意図は無いことをご承知ください。
毎年報道される子供の水難事故ですが、その多くは水は危ないという意識を持っていれば防ぐことが出来たものです。
- 雨の後の川には近づかない
- 救命胴衣は付ける(浮くことが出来れば多くの場合助かります)
- ため池には近づかない(入ると人が出てこれる構造にはなっていません)
- 未就学児から目を離すことはありえない
- 飲酒はしない(水難事故に遭われる大人は飲酒しているケースが多く、子供から注意が逸れやすい)。
もちろん、事故に合われた方々を避難するつもりは全くありませんが、上記の件を知っているだけでその様な事故には合わなかったのではないかという報道がほとんどです。
年間の死亡者数で言うと、交通事故などに比べ、水難事故は僅かかもしれませんが、ほど全国民は毎日交通に関わる事にくらべ、水難事故は一年のごく限られた期間に限られた人が関わるのであることを考慮すれば、やはり危険度は高いのです。
なので、私は何かを批判したいわけではなく、1人でも多くの人に水難事故に合われるリスクを減らして欲しいのです。
言ってしまえば、この物語の悲劇も、大人が見ていれば起こらなかったのですから・・・
繰り返しますが、その件は物語の本線とは関係無く、設定上の事なので、難癖を付けたいわけではありません。
どうか、痛々しい事件が一件でも減ることを祈っております。
読書台・書見台
読書をしながら、両手が空くのはとても便利です。特に感想文を書く人にとっては必須です。このツールなしだとページが勝手に閉じるし重りを置くと見ずらいので、読書台があれば効率は格段にアップします。
ココフセン 便利なふせん
読み返したり、必要な部分をすぐに見つけるために必須アイテムです。
【ココフセン】の良いところは、シールが付いていて本の裏表紙に貼り付けておけます。
いつでもデスクに座ってPCを開けて読書が出来るわけではありませんよね、移動中やちょっと時間が開いたときには付箋をぺたぺたしておくと便利です。
コンパック A4文書を二つ折りにしてバックにいれて持ち歩く
大きなビジネスバックを持ち歩いているうちは良いですが、働き方の違いから、A4が入らないサイズの小さいバッグを持ち歩く事もありますよね。
A4紙を折りたたんでいると、割と開くのが手間だったり・・・
コンパックならA4を半分に折りたたんで持ち歩ける上に開くと一覧で見ることも出来ます。